みなさん今日もおつかれさまです!
管理人みわです。
少し前から断捨離をやめて物の勿体を重視するようにしています。
不用品を出品することで部屋も心もスッキリしてきました。
が、自分の時間が削られたのもまた事実。
自分を尊重すれば物が、物を尊重すれば自分が犠牲に。
「勿体無い」「勿体ぶる」「勿体つける」
☝物と人どちらにも使われる、勿体。
物にはもちろん勿体があるけど、わたしの持っている「時間」や「労力」にだって勿体がある。
・・・ということに気付きました。
物も大事、自分も大事。
大切なのはバランス。
今日は、物の話ではなくわたしの好きな絵本「花さき山」から学んだ社会の損得について語ります。
花さき山とは
「花さき山」は1969年に岩崎書店から出版された絵本です。
発行部数100万部以上。
教育機関から評価されており、小学4年生の道徳の教科書に採用されています。
また演劇の原案としても使用されてもいます。
郵便不正事件の証拠改ざんの罪で逮捕され、のちに無罪が確定した元厚労省局長の村木厚子さんが約半年に及ぶ拘置所生活をで支えてくれた本のひとつがこの絵本だったそうです。
岩崎書店によるインタビューでこの本が「すごく救いになった」と答えています。
村木さん曰く、周りから心配され自分はしてもらうだけで何もできない状況に打ちのめされていたとき、主人公「あや」が物質的に何ももっていない状況で花をさかせることができたことに、何ももっていなくても自分が元気にしていることを伝えるだけで人のためになるということに気づけた
と語っています。
あらすじ
主人公は10歳の女の子、あや。
あやは、妹のそよが祭りの着物が欲しいと母親を困らせたとき、
母に「妹に着物を買ってあげてくれ」と頼み自分は辛抱したのでした。
次の日、あやは一人で山菜を採りに山へ入りました。
山奥に迷い込んでしまい、そこで一面に咲くきれいな花を見つけます。
どこからか山んばが現れ、あやに語り始めました。
「この山では、ふもとの村の人間がやさしいことをするたびに、ひとつ花がさく。おまえのあしもとに咲いている赤い花は、お前が昨日さかせた花だ。」
(あや以外の辛抱話を省略)
「自分の事より人の事を思って辛抱すると、その優しい思いがここに花としてさく。」
無事に山から戻ると、あやは山んばから聞いた話を両親やみんなに話しました。
あやの話を信じてくれる人は誰もいませんでした。
その後は山んばに遭うことも、あのきれいな花を見つけることもありませんでした。
けれども、あやはときどき「今あの山でおらの花がさいたな」と思うことがありました。
出会いと最初の印象
花さき山との出合いは小1か小2のときの読み聞かせ。
駄々っ子の妹のために姉の自分が我慢するという話として理解しました。
辛抱すると、どこかに花が咲く。
誰も信じない。
ご褒美なし。
わたしは三人姉妹の真ん中で、2つ上の姉と3つ下の妹がいます。
なので姉の気苦労も少しばかり分かります。
同時に、姉のお古ばかり着ていた妹としてそよの気持ちもよく分かります。
そよ(妹)にわがままのレッテルを貼るような描き方が引っ掛かるところ。
姉として我慢することも、妹として我慢することも一般的によくある。
生まれ順による損や得については分かりません。
一人で山へ入れるとしたらしっかりした子供なんだろうなという感じがします。
それだけ親から信頼されているという証。
役で人のイメージは変わる
美人で喧嘩が強い副班長とくながさん
とくながさんは、わたしが通っていた小学校の上級生でした。
スラっとして東南アジアにいそうな美人。
家が近所だったので集団登校の副班長でした。
正義感があり規則に厳しく、男子の班長とそりが合わずよくお互いに罵倒し合っていました。
見た目からは想像もつかないような悪い言葉で。
密かに「この人と喧嘩したらヤバい」と恐れられていました。
でも、人とうまくやらなきゃとか人からどうみられるかなどを一切考えずに正しいことをするとくながさんに、不思議な魅力を感じてもいました。
とくながさんが演じた「あや」が魅力的だった
ある日、高学年が演劇をやりました。
演題は「花さき山」。
あや役はとくながさん。
舞台の上のとくながさんは意外と少し緊張気味。
怖い美人と認識していたとくながさんが急にかわいく見えました。
とくながさんのイメージが変わりました。
花さき山に対するイメージも変わりました。
あやをかわいい存在として認識するようになりました。
あやを自分と重ね合わせるのではなく、第三者の目線でみるようになりました。
遠慮という美徳 in USA
控えめなBillさん
Billさんは、わたしがアメリカの2年制大学を卒業後OPTビザで働かせてもらった貨物取扱業者の通関担当者でした。
そこでの資格保持者はBillさんひとりだけでした。
その支店では支店長以外には役員ではなくBillさんだけ個室を持っていました。
Billさんは40代後半の小柄で真面目で控えめな人でした。
自分がみんなより先に帰宅するときは、みんなのいるところへ来て申し訳なさそうにあいさつをしてから帰る人でした。
下っ端のわたしにももちろん礼儀正しく接してくれました。
Billさんは皆が選ばないものをあえて選んだ
ある日、前月の売上が良かったという理由でみんなで昼食会をしました。
レクリエーションも盛り上がりBillさんがくじ引きで1等を当てました。
Billさんから順番に賞品を選びます。
そのときBillさんが少し困った表情をしているのに気づきました。
Billさんは賞品の中から一番安そうなものを選びました。
このときわたしは2つのことを思いました。
「Billさんってやっぱり気遣いが出来る人なんだ。」
「”遠慮”って日本人だけの文化じゃないんだ。」
まとめと感想
本作品を通じて自己犠牲というものに疑問や不信感のようなものを抱いたものの、
同じく本作品を別の角度からみることを通して「辛抱」が自身の好感を上げるものだということに気づきました。
作品を見る視点は第三者目線あるいは俯瞰で見た主人公。
ちなみに、作者の斎藤隆介氏は「けなげな風景」に特別な感情を抱いていると述べています。
私は、「けなげな風景」には弱い。テレビなどを見ていても、「あれは自分より小さいんだから」―――と自分に言い聞かせて、ジッと辛抱している風景などを見ると、アフッとあやうくせぐり上げてしまいそうになる。
(「花さき山」に添えてから一部抜粋)
損得と好感度の関係
花さき山は損得勘定の話だと思っています。
(わたしには)自己犠牲の精神が美しいとかそういう話ではありません。
謙虚がため物質的に損をしてしまうかわいらしさがあやの魅力として加算されます。
一時的に損をしたほうが得な場合ってありますよね。
人から信頼を得られたほうが得です。
可哀想で可愛さが増す
「かはゆし(かわゆし)」の現代語訳は可愛いでも可哀想でもあります。
可愛いと可哀相の語源は同じなのです。
お笑いで例えると「おいしい」のと一緒。
可愛さは可哀さでかさ増しすることが出来る。
主人公へ抱いた好感を通じ、自分の価値を上げる方法をそっと教えてくれた作品です。
最後までお読みいただきありがとうございました!