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ご来訪ありがとうございます。
「勿体」と「物」の倫理について考えている管理人のみわと申します。
当ブログは、2021年7月に「みわノート」というタイトルにてスタートさせました。
当初は商品レビューや時事ネタなどの雑記ブログをやっていくつもりでした。
が、ブログ発信用に始めたソーシャルメディアで自分と近い考えを持つアカウントのツイートに目を通しているうちに、自分に近い人の考えていることと自分の考えとの間の微妙な差異を発見。
そこで自分の立ち位置を知り、世の中に発信したい別のことがあったことに気づきました。
中でも、「勿体」と「物」の倫理に関して特に思うところがありました。
遡って、2019年にメルカリを始めました。
当時、不用品を手放して部屋を広くしようと試んでいました。
そして、そこで思いがけず不用品の価値に気づきました。
それ以来、自分に都合のいい断捨離をやめ物に重きを置くようにしてきました。
まだ使える物は捨てずにメルカリに出品しています。
品物が購入される度に広くなっていく部屋と、入用とする人へダイレクトに届けられる満足感をもらっています。
しかし、次第に出品する作業がなかなか進まなくなってきました。
自分の貴重な時間を削らなくてはならないからです。
物を重んずるがために、自分を犠牲にしなければならない。
そこでわたしは自分にも勿体があるということに気づくことになりました。
「時間」、「労力」、「お金」という勿体です。
「勿体ぶる」「勿体つける」など人の重々しさを表す言葉が、人間にも勿体があることを示唆しているかと思います。
物と人、どちらにも勿体があり、その均衡を保つ役割を物の所持主が担っている。
自分以外の勿体を大切にするうえで、所持主のキャパシティとバランス能力が必要になってくる。
身の回りの物と勿体についてまとめたいと思いいろいろ考えた末に、2022年7月にタイトルを「物倫理」へ変更しました。
当サイトの目的
循環型
最近は気候変動が気になるので、出来る範囲でいまある資源を活用して個人にも出来る簡単な、環境負荷の低い「何か」を探しています。
企業様、テクノロジー様頼りになってしまうところは否めませんが、消費者としてその商品を買って支持することは少しできるかなと思います。
ちなみに、個人に出来ることはごく限られていること、例えばカーボンプライシングの導入や罰則付きの法律を制定するなどの社会のシステムが変わらない限りは、大きな変革は見込めないだろうことには薄々気付いています。
最近は2022年4月1日に「プラスチックに係る資源循環の促進等に関する法律(プラ新法)」が施行されホテルやリゾートなどの観光業や飲食業が提供するものが省プラ化されることになりました。
これは、大きな変革だったと思います。
企業の意識が高まっていることを好ましく思う一方、一部の企業が進める石油由来プラスチック製品から紙製品への代替されたことには疑問を感じています。
紙の製造にかかるエネルギー量はプラスチックの製造にかかるエネルギー量よりも大きいためです。
たとえば、燃やした時にCO2排出量の少ない天然由来原料のプラスチックや、微生物によって二酸化炭素と水に分解させれる生分解性プラスチックなどに置き換わることが比較的望ましいのではないでしょうか(これにも問題が無いというわけではありませんが)。
こう考えると、環境活動家さんたちの働きかけは回りまわって社会に変革を起こしていると言えますね。
(私自身の政治的なスタンスはあるにはありますが、全体的な均衡が取れている状態を重視することが多いです。)
無駄を減らす
人、物、自分からみて資源、お金、時間、労力の無駄を出来るだけ削減し、生産性を上げられる方法を模索しています。
例えば、賞味期限を切らしてしまったとか、知らず知らずの間にポイントが失効していたといった無駄を削減する方法などです。
勿体の定義について考える
【勿体(もったい)】
物の品位。
・・・と辞書にはありますが、定義が難しい言葉で多くの人が色んな定義をしています。
例えば、
新価値創造研究所の代表橋本元司氏は勿体とは「価値」のことであると定義しています。
ケニアの元環境大臣であった故・ワンガリ・マータイさんはMOTTAINAIを「環境3R+リスペクト」と定義しました。
わたし個人は物の「尊厳」なのではないかと考えたりしますが、日本に古来より存在してきた物に宿る神道の「神様」であると定義されても違和感はありません。
物だけでなく人にも使用され、「勿体ぶる」「勿体つける」などとも使われます。
わたしが会社を辞めて全く別の業界を目指すと決めたとき、友人から「勿体無い」と言われました。
何が勿体無いのかと聞くと、これまで費やしてきた時間、積み上げてきたキャリアが無駄になるから勿体無いのだそう。
ここでのわたし(人)の勿体とは「時間」、「労力」、「経歴」などのリソース(?)、もしくはそれらに存在する価値のこと。
色んな定義が出来る勿体というものが不思議でしかたありません。
引き続き「物の勿体とは何か」について考察していきます。
物の倫理の追及
物の倫理についての考えを深めています。
物に人間と同じ権利があるという主張ではありません。
「環境倫理」や「ロボット倫理」など、応用倫理学の一分野として、人間や人間の行動として取るべき倫理観を考察するものであります。
第三者(itであらわされるもの)として見るか、人間と同じ主体(me, you)として見るかは意見が分かれると思いますが、種全体としてではなく個の存在として捉える点では「動物倫理」と同じ考え方です。
根底には、人間以外のものの価値を損なうような扱いをすべきではないという考えがあります。
物倫理という分野があってもいい、あって然り、何故存在しないのだろうかという個人的な強い思いも多少入っています。
物倫理(サイト名)の由来
物の倫理について調べても何も出てこないのでサイト名に採用しました。
物倫理という概念の確立を目指していますが思想を説くものではありません。
あくまで物にも尊厳があると仮定した話です。
倫理という言葉を使用していますが、人間が動物である以上は倫理的存在にはなり得ないと思っています。
倫理を追及した弊害は、人間が生物として生きることが難しくなること。
物に比重を置き過ぎず、人、物、自分それぞれ大切にします。
あまりものイズム(ソーシャルメディアID)の由来
Twitter, facebook, instagram 全て@amarimonoismというIDでやってます。
(以前は本サイトの副題でした。)
これは物を欲しがらない精神のことを指しています。
こちらもわたしが創作した言葉なので検索しても出て来ない筈です。
ブログを書き始めた頃に、花さき山にさく花とは第三者が胸キュンしたときに感じる好感のことであるという記事を投稿しました。
あまりものイズムは、わたしがとくながさんとBillさんに抱いた好感に由来しています。
「いい物を欲しがらない」というかわいらしさと尊敬です。
人それぞれ感じ方はあると思いますが、
わたしは「花さき山に花をさかせる」とはすなわち「第三者に好感を抱かせる」ということなのではないかと考えています。
あまりものイズムとは「物を欲しがらない人」を理想とする精神性です。
(わたし自身まだそこに至っていません。)
自己紹介
みわといいます。
1983年生まれ。
小学生の頃既に貧乏性を自覚。
高校卒業後、米国ミシガンの短大へ進学(会計を専攻)。
経済の授業に出てきた「比較優位の原理」に感化され、自分の得意な物を作って他人と交換することが平和的だと考え貿易業界を志す。
1年間(OPTビザで)米国ジョージアの航空貨物取扱業者で働いた後に帰国。
東京の通関業者に就職。
英国人男性に仕事を持ちかけられ通関業者の仕事を辞める。
↑彼と音信不通になる。
実家へ戻る。
3か月米国のフロリダへ旅に出る。
現パートナーと知り合う。
メルカリを始める。
不用品の価値観が一変する。
メルカリの目指すサステナビリティや循環型の信念に感銘を受ける。
ブログで発信を始める。
現在
メルカリの手数料が痛いので、ラクマやPayPayフリマにも出品するようになりました。
ラクマには小物雑貨、PayPayフリマには衣類を出品しています(あまり深い意味はありません)。
特に梱包が好きです。
サブブログ、「再利用梱包」および「再利用補助軸(休止中)」を始める。
何か作るのも好きです。
物作りをしている人や自給自足のような生活をしている人の発信を時々覗きに行きます。
そういうライフスタイルへの憧れがあり、自宅の脇でちょっとだけ家庭菜園をしています。
古紙クラフトや衣類のリメイクにもやりたいですが、まだなかなか手が付けられていません。
記事を書くのは好きですが、すごく得意というわけではありません。
読みやすい文章を書くということが喫緊の課題です。
わたしの考察してきたことが、いつか誰かの、何かのヒントになれるそのときを目指して頑張ります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
令和04年07月01日
令和04年12月10日(編集)
みわ (@amarimonoism)